naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

時事放談

時事放談

ニュースを見ていて、考え込んでしまった。

女が子供をはらむということは、動物の自然であって、生まれる子供の扱いに差別が生じるのはおかしい。しかしこの世は、その差別でできている。

最近、動物の本能の希薄になった人間の女が、よく子を殺すというニュースに接する。助けたいと感じるものもいれば、少なくとも警察だの児童相談所などに知らせたいと思う人間もいる。育てられない赤ん坊を殺す前に引き取るために、ポストを設けている病院もある。

多くの男女が不妊に悩んでいるらしいが、そういう子を自分で引き取って育てようという考えを持つものは、日本には少ない。アメリカは離婚大国で、低年齢、非婚で子を産むケースも、おそらく世界1だろう。しかしあの国では、世界中に出かけて戦争を仕掛けては人殺しをしている国にしては、不幸を背負って生まれる子供にたいしては人道的で、誰でも養子にして育てるような、あえて言うけれど「宗教的」環境が整っている。

50になってからなにがなんでも自分の子宮に他人の受精卵を埋め込んで、疑似実子を産みたがるのは、小耳にはさんだ話だけど、金が絡んでいるときだけらしい。金がないのに子供を産めば、子育て資金として政府が援助してくれるらしいから。

なんでもいいから自分の子宮を使いさえすれば、誰の子供でもはらんだつもりになれる、そういう装置をあえて使うのは、日本では、生まれた子供の身分に差別がありすぎるかららしい。。

結婚という制度の中では、婚姻関係にある夫婦の子供は、文句なく社会に受け入れられるが、不倫関係にある男女の間に生まれた子供や、非婚で生まれた子供には、まるで子供に責があるかのように、日本の伝統的社会は扱う。

どんな状況下で生まれた子供であれ、科学的には、人間の子孫であることに変わりがない。

まあ、女性が不妊で、子供が欲しい場合でも、旦那の不倫の子を、自分の子として引き取るということは、精神的にかなり難しいことだろう。だからかもしれない。旦那の精子と、赤の他人の女性の卵子を結合させて、その不妊の妻の子宮の中で育てることが、凄く「新しい考えと新しい医療による正当な行為」として、今日のニースに登場してきた。

考えてみれば旦那の不倫相手の子を引き取ることと同じようなことなのに、不妊の女性は納得して、自分の子宮の中で、その疑似実子を育てているらしい。

しかもその女性は、夫婦別姓論者だと言う。どういう根拠で夫婦別姓が正しいことで、どういう根拠で、その事実上の夫と別の女性の子を自分の胎内で育てれば、その別姓の夫婦の子として登録されるのが正しいのか、まるで、さっぱりわからない。

そういう主義信条の夫婦は、その疑似実子の姓を、いったいどうするんだろう。どっちの姓もなのらせないで、胎内新太郎(はらうち しんたろう)とか命名するんだろうか。

不倫関係で生まれた子は、社会は白眼視し、胎内新太郎は正規の婚姻関係の夫婦の子として、社会が認めるのだろう。

わけがわかんないことが、世の中に横行している。

いつもいうように、「結婚」という自由発想の人間を束縛してやまない制度を廃止さえすれば、生まれる子供の「社会的立場」を巡って、これほど面倒なことを実行しなくて済むと、私は思うのだがどうだろう。