南無妙法蓮華経

さて、清水公園から「どうも、流山街道」らしい道路に出たが、そこから、ふたたび、自転車道に登る入り口からずいぶん遠ざかったらしくて、どこをどう行ったらいいか、わからなくなった。
 
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街の中は、複雑で、おまけに地図がない。川の臭いがする方に^^、どんどん走ってみたが、どうも道があちこち分かれていて、うまくいかない。ちょうどそこに、通学の子供を誘導する旗を持ったおばさんがいた。
 
2学期が始まったんだなあ、そう思って、その旗おばさんに聞いてみた。彼女、知らないらしい。でも江戸川なら、あっちでしょう、と「あっち」を頼りなげに指差す。見えないだけで、あとで考えたら、あの人、ほとんど江戸川沿いの町に住んでいるんだけどね^^。私みたいな人なんだ。
 
で、しかたないから、あっちを歩いていたら、自転車から降りで休んでいる中年の男性がいた。朝早く、自転車を止めて休んでいるくらいだから、ひょっとすると私の仲間。江戸川沿いの自転車道に登る場所を聞いてみた。
男は、じろじろと私を見ている。自分だって、変なくせに、「変な奴」と思っているらしい。あまりいい感情を持っていないらしかったので、行こうとしたら、呼びとめて、杉戸に行くんかという。
 
いや、松戸から来て、松戸に帰るところだ、と行ったら、その男、じろじろと上から下まで私を見る。考えられね~~と思ったらしい。
 
それからおもむろに、自転車道に行く道を教えてくれて、ついでにいった。「ふん。いいことだねえ。」
 
翻訳して見ようか。「いい年して、変な三輪車漕いで、朝から30キロも徘徊しているなんて、よほど、暇なんだけど、健康にはいいことだねえ。」
 
礼を言って、だいたい男がいった方向に、走りだした。方向だけは確か。でもたいして良く聞いていなかったから、ほとんど自分の方向指示感覚を頼った。
 
やっと「懐かしい」土手に登ったら、もう、太陽が高く昇っている。あたり一面、折角生えた草を刈りこんでしまって、遠くの川の水と、わずかな木々と、丸裸な土手だ。景色はなにも面白くない。
 
観念して、走りだした。しばらく行ったら、向こうから、自転車に乗った男がやってきた。一人でブツブツ何か言っている。すれ違った時、おや!と思った。
 
彼は唱えていたのである。
 
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経
 
いいなあ!!朝、一人で、誰もいない土手を走りながら、彼はお経を唱えているんだ。私は思わず振り返り、消えていく彼の背中に、挨拶した。あなたとすれちがってうれしかったよ!
 
もう、昔、イラク戦争のはじまったころ、平和行進に参加した。あるお寺の主催だったが、すべての宗教徒に声を掛けて参加を呼び掛けた行進だった。其の時、先導したお坊さんたちが唱えていたのが、このお経だった。別のグループでは、どうもカトリックらしい聖歌の歌声が聞こえ、他のグループでは、別の祈りを唱えていた。まさしく超教派の祈りの行進だった。
 
自転車の題目とすれ違った時に思い出したのが、その平和行進だった。すれちがった男の、実に孤独な念仏を、私は清々しい思いで、心の底から賛仰した。孤独とは、純粋なものだ。そして、信仰は、孤独の中でしか純粋になりえないものだ。
 
キリエレッソン、クリステエレッソン・・・
 
私はふと、子供のころに口ずさんでいたラテン語の祈りを口ずさんだ。
 
4時間半の走行を楽しんで、私は家に戻り、死んだように眠った。