naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

韓国ドラマ2題

韓国ドラマの、「チャンヒビン」というのを見ているけれど、なんだか、あまりに善玉と悪玉が明確に分かれていて、妖婦といわれるチャンヒビンは「純粋の」鬼で、どこにも取り柄がなく、聖女といわれる王妃はどんなに明確な悪意でも、まるで見抜けない、ただのバカみたいに描かれている。いくら聖女でも善人でも、あれだけ間抜けなら、男性である王にとって、全然魅力がないと思うなあ^^。却って、どこから見ても、悪意の塊のチャンヒビンのほうがある意味性的魅力にあふれているかも。
 
どんな善人にだって、心に弱みはあるもので、攻撃されれば防御するのが当たり前。悪意によって何度も陥れられれば、学習するのが当たり前。それができないというのは、人間的にも動物的にもおかしい。こりゃ、善人というより、「愚鈍」だわ。
 
ここまで明確に善悪が分かれていると、かえって真実味が欠けてきて、迫力あるけれど、ちょっとうんざりしてきた。
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朱蒙は、すごく壮大なドラマだ。高句麗の建国の王の一生の物語らしい。これも善玉と悪玉がはっきりしていて、善悪の役割分担のせいで、画面にひきつけられてはいるが、落ち着いて考えると真実味が欠ける。善悪はともかく、もう少し、善人の心の中にも悪人の心の中にも、「揺らぎ」というものがあってもいい。
 
エゴイストは全面的にエゴイストで、使命感に心を燃やす主人公は、全面的に英雄で、まるで聖書の中の人物みたい。英雄を英雄に育てるために、すべての登場人物が朱蒙の使命を妨害する役割のために出てくる。家来に至ると、何も感情もなく、ただ従う。日本の大河ドラマのほうが、同じ戦国武将でも、もう少し人間に厚みがあるなあ。別に身びいきするわけじゃないけれど…