naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

宗教論争はする気はない

NHKの「奇跡の生還」という番組を、疲れを押してみていた。
 
そして思ったのは、「やっぱり私の勘があたった」という思いだった。ただし、NHKのコメンテーターは一人も、そのことに触れなかった。
 
私は、落盤事故の坑道の中で生き抜いた33人の心にあったのは、信仰であろうと考えていた。そして、そのことを決して、日本の報道機関は指摘しないだろうとも思っていた。私は人生の暗いトンネルの中で、日ごろ教会の悪口を言いながら、いざという時唱えていた祈りがなかったら、生き延びられなかっただろうという体験を何度もしてきた。だから、私は「知っていた」。彼らを支えたのは、「祈りだろう」と。
 
今日のNHKの番組で、なんでもないかのように報道の一部として伝えていた中に、「私には」注目すべき記事があった。それは、事故の中で、生死の境をさまよっていた33人がいさかいを起こしたり絶望したりしているときに、一人の仲間が、1日に2度の祈りの時間を設けて、皆で一致して祈ったという話だった。
そうだろう。と私は内心思った。
 
チリはスペインが侵略して、残虐な方法でカトリックの信仰を押しつけられた国であることを、私は反吐が出るほど、知っている。私の主人と娘の国も、同じようなスペインの侵略支配をうけた、いわば「カトリック布教の被害国」だ。だから、私は、彼らの心にある深い傷を知りすぎるほど知っている。そして実は、これも言えることだけれど、深い傷を負いながら、「侵略者の思い」と裏腹に、神は、直接、彼らの心に働いて、ある「光」と言えそうなもので、彼らを導いているということも知っている。ときとして、彼らの吐く言葉のなかに、その道の専門家を自称する人々よりも、真理をついた言葉が出るのを聞いてきたから。
 
ところで、最後に、この番組が終わるころ、取材した人物に、「あなたは、何が一番、彼らを支え、救ったと思うか」という質問をした。その取材した女性は、案の定、彼らの信仰と祈りの話は、一言も触れず、「家族の支えがあったから以外の理由は考えられない」と断言していた。しかし、彼らの一人が、地上にあげられた時、彼は家族よりも前に、地に膝をついて祈っている姿が映し出された。そして、全員が助かった時に、彼らはミサにあずかった。そのことの、「物凄さ」をたぶん日本人は理解しない。あのミサは、組織は規則や指導者が守ってほしい儀式でなく、彼らにとって、心からの「感謝の祈り」だったのだ。
 
チリの人々は、その布教のされ方が、過去どうであったかということはさておいて、とにかくある種の信仰を強制的であれ何であれ、植え付けられている。子供の時からの教育がそうなら、人間は受けた教育から自由ではない。深い哲学だの神学だのの知識は、ないだろう。しかし、極限の状況で自分の力でどうすることもできない時、一致結束をしたのは、祈りだった。その祈りを、どのような「名前」または「記号」であらわされる「神」にささげたにせよ、呼ばれた存在が一なる存在ならば、その祈りは聞き届けられたであろう、そう、私は思って聞いていた。