naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

渇き

のどのかわきについて、書こうと思った。で、漢字に変換すると、「渇き」と「乾き」が出てくるので、はて?と一瞬迷った。

よく考えてみたら、のどの場合、「乾き」にすると、のどの外見が萎びているっていうことになるね^^。

実は、猛暑の厳しかった今年の夏以来、でかけるときも、寝る時も、常に水筒を持参することが、習慣になった。今年の夏は、よく自転車で早朝散歩したが、戻ってくるときは、いつも炎天下。汗が噴出して、そのあと文字通り、体が「乾き」そうだった。手っ取り早いのが、スポーツドリンク。アクエリアスをじゃんじゃん買い、ちょっと止まれば、がぶがぶ飲み、おかげで自転車で、かなりの距離を遠征することができた。

ところで、渇きは散歩のときだけでおさまらなかった。夜は、いつも早いのだけど、夜中に「渇き」で目が覚める。かつて経験したことのない渇きで、舌も触ると、水気がない。死んだら、こうなるのだろうなあ、などと案外楽しみながら、台所に行ってアクエリアスを飲んだ。ところが、就寝中の渇きは1度や2度でおさまらない。そのうち、水筒は枕元に置いて寝るようになった。

主人がうちにいたころ、彼はよく水筒を枕元に置いて寝て、時々飲んでいたが、それはただの彼の個人的習慣かと思っていた。その習慣は、別に老人になって始まったことではなかったから。

ところで、自分がこういう渇きを経験して見ると、ひょっとして主人のあの水筒は、命にかかわることだったかもしれないと思いなおした。そう思えるほど、自分が今体験している「渇き」は、尋常ではないのだ。死ぬ前に人は、渇くんだろうなあ、と、いろいろ思った。

キリストが死ぬ前に、十字架上で「われ、渇く」と言ったという、あの言葉も、何も劇的効果を表すための記述ではなかったんだ。肉体の死を宣言する言葉だったんだ。

末期の水は、儀式ではなく、最後の「生」への執着か・・・?