naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

22日から25日の日記:ちょっと病気で

22日
ちょっと働きすぎた。見掛けは悪いが、とりあえず、境界線の穴ふさぎが終わったので、後は、土盛りと体裁を整えるだけ。今週は休息をとることに決めた。

実は、今週からいよいよ、目玉の手術の準備が始まる。手術前に3回ほど検査。肉体労働は、緊張緩和にいいけれど、働きすぎは、かえって危ないかも。

ところで、崖の最終段階をお願いしているMさんが、私が作った階段を眺めて言った。この分なら、2段を平らにして、3坪くらいの遊べる空間ができるよ。

え!乗り気になった。それができたら、あそこに東屋作りたいんだ。本も読めるし、絵も描けるし、ビールも飲めるし、ハンモック吊って、ぼんやり音楽聴いたりできる。お金どのくらいかかるかなあ、と言ったら、彼、黙っちまった。あまり、乗り気になりすぎたかも。

主人が帰ってきたら、そそのかしてみよう。
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今日は、休むと思って、ゴミ出しに行ったら、裏の旦那の家の横に、切った枝の束がたくさん置いてあった。今日のごみはプラスチックで、生ごみは明日だから、まだ運んでいないのだろう。一番上の段の目隠しの段を今こしらえているのだけど、目隠しだから、土はそれほど必要ないし、折角の土を使うのがもったいないので、明日あたり、晴れるから、また、木を切ろうと思っていたところだった。ちょうどよかった。労せずしてまた、木の枝を手に入れ、みんなうちまで運んできた。

それから郵便局まで、年賀状を買いに行った。帰りに数軒、回って、本土寺経由で帰ろうとして、そうだ、美味しい漬物、買って帰ろうと思い、境内の漬物屋によったら、ザー菜の漬物が出ていた。店内を回っていたら、おでんをはじめたらしく、うまそうな香りで煮えていた。品数は、あまりないけど、みんな自宅の野菜だの、自家製のこんにゃくだのらしい。しばらく眺めて、やめた。まだ10時だったから。

帰宅してちょっとしたら、雨がどっと降り出した。よかった。もし気まぐれに晴れたら、今日は体を休めようという決心が揺らぐところだった。

目玉の医者から電話があって、どうも一泊は無理らしい。じゃあ、主人が帰るから12月の分は日帰りでいいことにして、1月は、何日になるか聞いたら、29日だという。29日なら、もう主人は帰ってしまう。それじゃあ、1月のほうは、一泊の予約を取ってほしいと言ったら、なんだか意味がわからないけれど、じゃあ2月の14日にしておきますだって。2月、雪が降らなければいいけれど…。私は神経病みだから、それに天候不順が加わると、のびてしまうかもしれない。だから、場合によっては、春になるまで左目のほうは延期かも。
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23日
昨夜の雨で、ちょっと大変なことになった。あの大事な土の山が、雨の水をせき止める形になって池ができていた。仕方ないから、何もかもそっちのけにして、体調悪いの無視して、水の通り道を作るのに、朝から泥まみれ。しかし、土がこんなに、水を含んでいたら、作業ができない。明日晴れてくれるかなあ。

早く土嚢を作って、上に持って行くべきだったな。ちょっと風邪気味で、自らドクターストップかけていたんだけど、仕方がない。ドクターストップ解除。

30 本のやき杭をかいたしたので、日曜日、Mさんに頼んで持ってきてもらったのだけど、一番上の段の杭はもっと長くないと、だめだそうだ。敷き詰めようと思って、枝をもらってきたんだけどな。目玉手術週間に突入しちゃったな。この土、何が何でも土嚢にしなきゃ、雨で流れてもったいないわ。
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今日は、体を何が何でも休めたいと思って、年賀状の制作を始めたのだけど、4時間頑張っても、どうしてもプリンターがうまく動かない。はがきの設定をしても、絶対にA4設定を代えられないのだ。あ~~。頭にきた。肉体労働のほうがどんなに健康にいいだろう。

今年は目の調子が悪いから、手書きなんてできないけど、どうも、そうなりそう。
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力仕事がいい、と思ってやにわに外に出た。まあ、その前にリセットしようと思って、プリンターの電源は外しておいた。

昨日私は、近所から切った枝の束を10個ほど集めてきた。今朝は、ちょっと長い枝の束を別のところで見つけたので、自転車で、もらいに行った。傍の畑で仕事をしている爺さんを知っているので、その爺さんに許可をもらおうと思ったんだけど、別の若い家人が出て来て、いいよというので、持ってきた。手で運ぶことも、載せたら自転車を漕ぐこともできないほど、長い枝の束だった。

その男は、木の枝が欲しけりゃ、あっちにその20倍くらいあるから、ほしい時、爺さんにいうといいよと言ってくれた。田園地帯とはいいものだ。都会ではゴミ扱いのものでも、田舎の人はとっておいて、頼めばタダでもらえる。

でもその時、まだ雨が降っていたから、作業せずに、家に入った。

プリンターにイライラして、あの作業を続けようと思った。ところが、自転車で運んできた木の束、それはそれは重かった。一束を、気合を入れて、えいっと担ぎあげて、一気に上まで持って行こうとしたのだが、 重くて耐えられない。一段一段降ろしては息をついて、また担ぐ。ついでに昨日の10束も上まであげたから、それだけでへとへとになった。

私は確かに、病気になりかかっていると感じた。それで、土の山の脇に水の通り道をもう少し広げて、今日はこれでやめようと思った。
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のどの痛みと、腰痛と、力が出ないのと、自分で風邪と判断して、越中富山のマンキンタンを飲んだ。

恐れていた冬の病、到来だな。すごく鍛えたつもりだったが、ガキの頃から虚弱児だったからな。60数年間、何をやっても克服できない。1年ぶりに湯たんぽを用意。崖、もうちょっとなのに。うらめし・・・

Mさんが言っていたけど、地下足袋はいて、木に登って、電ノコ使って枝を切ったり、街中から木を集めて崖に登ったり、130本の杭を埋め込んだり、もっこ担ぎをしたりするばあさんは、弱いなんて言ったって、信じられないのは、当たり前だそうだけど、本当に弱って、人の助けが必要な時は、外に出ないんだから、誰も分かんないの当たり前なのだ。

いつもほとんど本当のことしか言わないんだから、本人が今だめだ、動けないのだと言っている時は、本当なのさ。鶏がいなかったら、死んじまいそうなときだってあるよ。かろうじて、這ってでも鶏の世話をしようとして起きるから、気力で死なないだけ。ありがたいなあ、鶏様。鶏の存在は、人間なんかより、よほど私の救いになる。元気になったら、あの塀に、鶏描いてやろうかな。ぶつぶつ


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24日
明るくなってから、起きてきた。

思い出して、枇杷の葉茶を作る。煮詰めるからなかなかできないのだけど、これは私の救急処置に必要な薬だった。

鶏。餌、作る。今日は、外を眺めても、やる気が起きない。まだ湯たんぽ、暖かい。食事は季節の野菜、山盛り。鶏の餌と大して変わらない。彼ら穀物だけ食べて、裸足で風邪ひかないんだ。そうだ、冷凍の胸肉、だしておこう。昼は、胸肉入れたラーメン作ろう。
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朝、鶏の世話をした後、すぐに寝た。本当は、本を読もうと思って、寝室に本と眼鏡を持って行ったのだけど、一人トランプを数回やって、疲れて横になったら眠ってしまった。たぶん、熱があるのだろう。腰痛が激しい。富山の薬と、腰痛の薬を飲んで、ついでに、お試し用というにんにく卵黄がきたので、それも飲んで眠った。

目が覚めたら、12時5分前。そうだ、昼食にラーメンつくるんだった。寝る前に解凍するために出した鶏の胸肉は、すりおろしたにんにくと、麺類用のつゆをかけておいたから、自然の柔らかさになっていた。ところが、野菜がなにもない。胡瓜はたくさんあるけれど、冷やし中華じゃないから、あわないな。ごそごそ探したら、ワカメが出てきた。それを水に戻す。

何とかラーメンの体裁を帯びた食物ができ、それを食べて、またいろいろ薬を飲んで、再び寝室へ。もう、外なんか見なかった。

今日は生協が来る日。対応できるように、寝間着は着替えて、そのまま寝た。しばらくしたら、ベル。Mさんだった。見る影もない私の様子を見て、ああ、寝ていてくださいと言って、崖に上っていった。一番上の段の土嚢を置くために、長い杭を買ってきた。いつもなら、私が、土運びを手伝うのに、今日は私が伸びていてできないことを、彼、すぐに分かったらしい。私も、無理して体調が悪化したら困る。放置して、また寝た。

しばらくしたら、生協が来た。こういう時、生協は助かる。しかし私は、生協には、長持ちしない野菜を頼まないから、今にして思えば、用のないものばかり。

頼みの枇杷茶は、まだ出来ない。

ところで、何かをやろうとして、瞬間にものを忘れる。二階に行く途中で、階段に上っている最中に、もう、忘れている。下りれば思い出すかな、と思って下に行くと、また何のために下に来たかを忘れている。

枇杷茶はぐつぐつ長いこと煮詰めなければならない。火をつけていることを忘れる。うちのガス台は安全装置が付いている。自然に消えてくれるから、出来てなくても消えているので、なかなか煮つまらないのだ。元気なら、火鉢に炭火で煮詰めるんだけど、昨日の今日で、ちょっと危機意識が足りなかった。

この「風邪」、たぶん、府中に行った時の電車内でうつったのだ。あの車内で、私は座ることができたのだけど、混んできて、、すぐ前に立った女性が、激しく咳をしていて、私は彼女の咳を頭から浴びていた。帰りの電車だったので、迂闊にも、その時、私はマスクも鼻マスクもしていなかった。咳は病気だ。差別したり、いやな顔をするわけにいかない。席をたって、逃げ出すにはあまりに混んでいた。私は風邪をひきやすく、気管支に問題を抱えていて、しかも胃腸も弱い。雑菌だらけのエルサルバドルを旅行して帰ると、1ヶ月は胃腸障害を起こしていて、寝込んでしまう。

今は夕食を作っている。ときどき何をやっているのかと思う。お皿を出したことを忘れて、どうして2枚もあるんだろうなどと、考えている。脳みそがどうかしてきたんだな…

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25日

「根性って何だろう」    

「根性」という言葉を私はあまり日常的に使わない。だから実は「根性」の意味を理解していない。たぶん、英語なんかに訳せない、大和魂の一種だろうか。

医者から、ああだこうだと診断を受けても、私は診断を気にして生きていないので、実感する体調が「普通」である限り、必要なことには体を動かしている。わざわざ「鍛える」という努力もしないし、「克服する」という気持ちもない。診断に対して「あ、そう」と反応するだけで、骨粗鬆症で骨がぼろぼろといわれても、歩けるし、自転車で買い物に行けるし、日常の用をたすに、不自由していないので、診断に対して萎縮したりしない。

子供のころから虚弱体質だったから、49歳で内乱の国から戻ってきた時、母が言った言葉が耳に残っている。「体が弱いのに何をしたって死なないんだ…」

それが本当の母の実感なんだろうけれど、あの言葉はきつかった。

おまけに、兄弟6人の中で、母の最期を引き受けると手を挙げたのは私だったから、母はその時も言った。「生き残るかどうかもわからなかった一番弱い子に、最後は世話になるのか…」

私としては、そんなに意志が強固なわけでなく、流れで、なるように生きてきただけ。

ところで、こんなことを今さらブツブツ言うのは、 このところ崖の修復作業のことで、自分が考えられることをすべてやったあと、最後の一番絞めになるところを引き受けてくれたMさんが、前後の脈絡もなくつぶやいた言葉が気になったからだ。

「こりゃあ、生き方というか、根性だなあ…」

根性というのは、「医者の診断などどこ吹く風と、流れで、なるように生きること」かな。

ところで、立派な枇杷茶ができた。朝は、コーヒー代わりに枇杷茶で食事。今日は、少し気分が上向いてきたから、医者に行こうと思う。