naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

音楽チャット

音楽は、私の心に癒しを与える。ほとんど麻薬のごとき存在だ。しかし、同じ音楽を愛する人間が、お互いに癒しになるかどうかは、別問題のようだ。

なんだか、わけわからないことだけど、クラシックファンは、特に神経がおかしいというか、「楽しくお話」をすることができないらしい、と、ヤフーチャットの部屋なんかに入って、よく思う。いろいろなジャンルの音楽をかけている部屋のほうが、音楽だけでなく、あらゆる種類の人間を受け入れ、あらゆる話題を受け入れる。もっと細かくいえば、文字の色とか大きさに至るまで、クラシックファンの部屋はうるさいが、多ジャンルの部屋は、文字の大きさ、色、話題の種類、人間の種類、その他の面倒なことに差別や拘束を設けない。

私は、たぶん、育った環境のせいで、自分の心を落ち着けたいときは、クラシック音楽を求める。自分のCDから聞けば済むことだけど、なんとしてもCDから音楽を取り込むことができなくて、おまけに、チャットの部屋を持っている収集家ほど大量の音楽を持っているわけでないから、ついつい、手っ取り早い方法として、音楽チャットの部屋に入る。

文字や色の設定について、初め私は自分の視力のせいで凄く研究をせざるを得なかった。白内障というのは、特定の光や色に対して、ほとんど眼つぶしにあったほどの強烈な苦痛を覚える症状を持っている。

チャットの部屋の文字の色は、いろいろ好みによって、代えて、楽しむことができる。蛍光色とか、グラデーションとか、いろいろ楽しめる。

ところで私は、蛍光色とか、刺激の強い色を見ると、目が痛み、吐き気を覚える病を持っている。それがある時間目に入り続けると、涙が止まらなくなり、目が痛んでどうしようもなくなるので、仲いいヒトの部屋では、よく事情を言って、文字のサイズや色を代えてもらっていたのだけど、それも不特定多数の他人を自分に合わせろということになるから、自分だっていい気分がしなかった。

ある時期、私は、他人を自分に合わせるよう要求しなくても、自分の側で文字サイズと色の設定をすれば、誰にも迷惑かけることなく、全員緑で文字サイズは全員12ということができる方法を覚えた。しかし、私は、自分の文字が、他人の目にどのように見えるかを知らなかった。

多ジャンルの音楽部屋では、私の文字サイズや、色に、誰も何も言わなかったし、したがって、いちいち、自分の目の病気を説明する必要もなかった。ところが、このところ、歌謡曲や演歌を聞くのが、ちょっと苦痛だったので、クラシックの部屋に行くようになった。リクエストもできる部屋だけど、圧倒的に歌謡曲や演歌や軽音楽が好きな人がいるときに、自分の好みを押しつけたくないから、だった。

そこで初めて、私の文字サイズに嫌悪感を感じるらしい発言に接して、自分の文字だけが緑の太線で、サイズ12として出ていることを知った。自分の側の設定で、私の画面では、全員同じに見えるようになっているから、「自分だけ突出して違う」とは気がつかなかった。

そのことは、私が特に自意識過剰で、権勢欲に満ちていて、他人に自己顕示をする性格の反映と映ったらしい。未知で初対面の相手に、なんで、こんなにつっけんどんで冷淡なんだと、私は思った。それが昨日、海外からアクセスしているらしい日本人の英語のコメントで初めて気がついた。「なんでこいつは一人でフォントをでかくしているんだ、変な奴だ。」とそのコメントは詰問してきた。

この日本人、日本を出て多種多様な価値観の世界に暮らしていても、すべて同じであることを不特定多数に強要する癖が直らないんだ…。そういう北朝鮮全体主義人間に視力の説明をするのも無用と考え、私はその部屋から出た。

昔、ラジオチャンネルというサイトで、音楽を聞いていたころ、クラシック音楽の部屋のメンバーは、一人を除いて、こぞって嫌みだらけのメンバーだった。クラシック音楽の歴史や知識ばかりを披露し、私は別に育った環境からクラシックが好きなだけで、音楽の歴史を研究したわけでないから、発言によって無知を露呈すると、こぞって馬鹿にして、全員が横柄な態度に変身し、人間の屑みたいに言われちゃって到底長居ができなかった。

クラシックを聴く人間は、他の音楽を好む人間より、高級で、人間の価値が高いらしい。そう思っているとしか思えないような発言が多く、会話は堅苦しくてうそざむかった。だから、長いこと、私はクラシックの部屋に行くのを避けていた。

ネットの中の人間関係は、まず相手が「見えない」。車椅子の人もいれば半身不随の人もいる。白髪もいればつるっぱげもいる。100歳のばあさんだって、いるかもしれない。声が出ないからチャットして世界に人間関係を求めている人もいる。耳が聞こえない人もいる。自分の知らない難病を抱え、五体に何らかの障害を持っている人はぞろぞろいる。

それをいちいち自己紹介の時に、片目しかありません、よろしくとか、耳が聞こえません、よろしくとか、婆さんで新製品の技術的知識はありません、よろしくとか、言わなくても、なんとなく文字に現れるのが、チャットというもので、他人の欠陥による特徴をすべて、自己顕示欲のせいにするのは、あまりに想像力がなさすぎる。