naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

素直とひねくれ

気がついてみたら、主人が帰るの明日なんだ。掃除しなきゃ、と思って4時に起きた。といっても、帰った途端にエルサルバドルのゴキブリ運んでくるし、足の踏み場もなくなるけど。

やっぱり、邪魔にならないところに、クリスマスの飾りでもしようかな、できるとしたら、今日しかないんだ。とうとう、年賀状作らなかった。ちょっと主人がやってくれるのを心待ちにしていた。で、まだ機械は手つかずに放置。年賀状が来るころは、目玉もあいているだろうし、返事書きに徹しようかなと、考えた。

つまり、なにもしたくない。クリスマスとか、新年とか、年中行事をこなすことが面倒になっている。


たぶん、こういうのが積み重なって、今はやりの孤独死とかに至るのだろうけど、騒ぐことない。孤独を知らないやつなんて、脳みそが悪いだけなんだから。ただ、きちんと静かに死にたいね。母は自分の葬儀の衣装まで用意して行ったけど、自分は、そこまで、やる気はない。パンツをはきかかっていたときに死ぬなんてことになるかもしれない。もともと、「死」とは突然来るものであって、用意された死なんて、なんだか、怪しい。

下の掃除がすんだ。あとは2階。2階は少し厄介。居間だし、パソコンもテレビもある部屋だから、身の回りのごみは、いつも綺麗にしている。でも、部屋がでかい。隅々は、目が悪いのが幸い、「見えない」^^。一番厄介なのが台所。去年から、換気扇を掃除しようと思って、果たしてない。あれは、位置が上で、しかもガスコンロの上にあるから、どうしても協力者が必要。去年主人が来た時、何度も手伝ってくれと頼んだけど、できなかった。

だから、今年だってだめだろうな。私が元気に見えたって、超人じゃないんだ。できないときはできないと言い、手伝いが欲しい時は手伝いが欲しいというのだけど、いい気なもんで、私を超人扱いにして、知らん顔という「手」を使う。

私は、できる物なら、何も言わずに一人でやるよ。出来るのに人にやらせるなんて、姑息な手段は使わない。

人は、お前は絵がかけるんだから器用なはずだとか言う。私は器用だから絵を描いたんじゃなくて、やるにやまれぬ思いから、絵を描いたんだ。英語もスペイン語も、語学の才能があるからやったんじゃない。その場その場の必要性から、できちまったんだ。今、不要になったら、英語もスペイン語も忘れちゃったよ^^。

あのね、24歳の時、ナホトカ、ハバロフスク、モスクワ経由で、スペインまで行ったことがある時の話。

いつか書いたことあるけれど、モスクワから列車で共産圏ばかり通過したんだけど、その時、列車がポーランドの国境に差し掛かって、列車内で、入国または通過の手続きを取らなければならなかった。係官はフランス語しか話さない。英語ではだめかと聞いたら、まるで通じない。私は大学の第2外国語は、フランス語で、3単位取っただけの、程度だったから、話なんかできない。怖かったので、英語で周りの人に助けを求めた。誰か、通訳できる人いませんか?って。

そうしたら、近くにいた黒人が申し出てくれて、係官と私の間に入った。ところが、だ。彼の通訳が、でたらめなことを、私の緊急事態察知能力が察知した。私は突然、フランス語で話したの^^。

「そうじゃない、私はこれこれこういう人間だ。日本人で、スペインに友人訪問に行く途中で、他に目的はない。」

これらのことを話すため、まったく無意識に突然、自分の口から、フランス語が飛び出したの。あれで危機を脱したけれど、以後、私はただの一言もフランス語を話したことがないし、仮にもできると思ったことがない。できるなんて、思われても困るのだ。

人間が、どういう時になにをするかというのは、「能力」と関係ない。私は50歳前後まで、絵筆をとったことがない。学校時代、誰も私が絵描きになるなど思っていなかった。当の私も思っていなかった。生死にかかわる問題ではなくて、日常的な何かをしなければいけないときに、「あの時、お前は、こんなことができたじゃないか、だから何でもできるはずだ」なんていうのは、とんでもない緊急事態を人生の中で経験したことがない人間の発想だ。

私は、誰も「素直」な人間じゃなくて、「ひねくれている」と思うらしい。だけど、私は人生のある局面の、ある「事態」の、ある「状況」の中で、聞こえてくるある「指令」に対して、素直なんだ。というか、絶対服従と言ってもいい。その一瞬、突破する能力を「貸してくれる」存在がある。

ということを信じているかいないかで、「ひねくれた」私と、「素直な」あなたの違いがあるだけさ。