naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

つらい(2)

昔ピアノ殺人というのがあったな。

その男は音に敏感なため、自分の出す騒音が他人を苦しめないように、自宅のテレビやラジオさえ、音を消して、イヤホーンで聞いていた。彼は彼で、隣近所に対して自分のできる限りの気づかいをしていたのだが、誰もそのことを知らなかったらしい。

集合住宅で、下の階の音も上の階の音も、彼を苦しめた。特に、時を定めずに練習する小学生の女の子のへたくそなピアノの練習音は、彼を苦しめた。時間を決めて練習してくれれば、その時間は自分は外出するからと、再三交渉に行くと、その家族はせせら笑い、人間は生きていれば音がするもんだと言ったという。しかも、自分が悶着を避けて、外出し、帰ってくると、必ず、ピアノが始まり、しかも窓の開け閉めの音も、わざと何度も開け閉めし、厭がらせのように騒音を出しているように聞こえたという。

ピアノの一家は「平和な」家族だったらしい。おおらかで、他人と問題を起こさず、いつも朗らかに、細かいことに気を使うような面倒なことをせずに生きていた。誰も彼らの悪口を言う人はいない。

ところが、音に敏感な男は、我慢に我慢を重ねたあと、ある時、切れた。そして殺人に及んだらしい。彼は、犯罪者となり、世間は当然、彼を「自分とは無関係なほど考えられないほど気違い」だと報道され、子供の時の作文まで公表された。

「突然犯罪に及んだ犯罪人」は、近所の人の評判では、往々にして、物静かで、礼儀正しく、会えば必ず挨拶をし、問題を起こすようには見えない人間と言われている。一方、突然キレる犯罪人は、自分たちとは別種の人間で、気違いであり、子供の時から、作文にさえその陰が潜んでいるらしい。

秋葉原無差別殺傷事件の犯人も、写真を見る限り、ごく普通の人間で、特別の人間とは思えないけれど、彼の深い深い心の中に、犯罪の理由は隠れているんだろう。

容疑者の裁判に、国民すべてが参加して、何もわからぬ他人の生死を決めることに駆り出されるらしい。

人は人を裁けるか。その心の奥底に、何を秘めて、ある人生をたどらざるを得なかったか、まったく不明な人間を、あなたは裁けるほど「正常」なのか。あなただけが、「正常」なのか。いや、犯罪者だけが「気違い」なのか。彼らはホモサピエンスではなくて、ホモサピエンスの亜種なのか。

あなたはそんなに正常なのか。私はそんなに異常なのか。あなたはそんなの平和を愛し、私は争いを好むのか。だいたい、「このんで」争う人間がいると思うのか。「このんで」苦しむ人間がいると思うのか。または、聴こう。あなたはただの一度も、他人を苦しめたことがないのか。あなただけが聖者なのか。

姉の訴えを聞いた兄貴が再び手紙をよこした。「二人とも、家族の平和を好まないのか?」と。20年前一方的に絶交状をたたきつけた相手の、何が何だか分からない一方的な訴えを聞いて、兄は、私を責めてきた。家族の中に、私が生まれてこなければ平和だったと思う人が、また一人増えた。