お雛様、飾った

やっぱり、お雛様を飾った。お雛様は物置のかなり高いところにしまってあるので、効き手の肩が痛んでいる今年、なかなか下ろす気にならなかった。別に飾ることにこだわらなくてもいいのだけど、毎年欠かさずにやっている自分だけの行事だから、やっぱり心のどこかに、残っていた。

朝起きたら、体が少し動くようだし、テレビ体操も、ぎこちなかったが、全部できた。今日なら大丈夫かな、と思った。高いところにある箱を見上げてしばらく考えた。それからなんとか無理して、お雛様の箱を下ろした。

敷物に、グアテマラの布を使おうと思って、探したのだけど、ないから、たぶん、バザーで売っちゃったのだろう。おしいことをしたな、と思った。寄付だから、誰かの足しになっただろう。そう思えば、気が楽だ。

お雛様は丁寧にしまってあるから、包装をほどいて、そのまま出して飾ればいい。別の布地を使ってお雛様の敷物にした。お雛様そのものは、お雛様ではなくて、ただの男女一対の日本人形だけど、中米に行く時、私が八王子で見つけて買ったものだ。しかし、私がいつもこだわって、飾っているものは、私の人生の歴史がある。

真中に置いた縮緬の金魚は、江戸時代生まれの曽祖母の手製。子守り人形は、私が3歳のときに他界した姉の形見。羽子板は、私が9歳の時他界した父が作ってくれたもの。そして、帽子をかぶった布地の人形は、私が小学生の時に自分で作ったもの。なにも参考にせず、勝手に作ったのだけど、友人が喜ぶから、よく、作ってはあげていた。市松人形は
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、今にしてみれば、かなりダサいけれど、中米に渡るとき、娘が生まれることを期待して、久月で買ったんだ。娘、生まれたけれど^^、日本的なセンスのまるでない、へんてこな奴に育った。

だから、私にとっての雛まつりは、自分の人生の縮図を飾ることかもしれない。思い出に浸って生きるのなんて、馬鹿みたいだけど、まあ、1年に数日のことだから、いいだろう。
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今朝、気になっていた「パキラ」という植物の鉢を大きなものに代えた。これ、実は100円ショップで買ったものだから、鉢は凄く小さかった。買ってすぐに少し大きな鉢に植え替えて、1年たって葉もかなり伸びたのだけど、冬になって、その葉が枯れてしまった。家の中に収容したものの、生きているのか死んでいるのか、わからない。ひとまず大きな鉢に入れ替えて、呼吸を助けてやろうと思った。今、気温の差が激しいから、南国の植物は、大変だろう。