災害援助の輪に思う

昨日は腰痛とパソコン不具合で苦しんだ。パソコンの方は、ヘルプを参考にめくら滅法やったことが功を奏したらしく、うまく行っているけれど、なんだか、あまりに必死になったので、自分でやったプロセスだって、覚えていない。

腰痛の方は、まるで治っていないから、今日はコルセットで固めて歩いている。

ところで、9時ごろ、玄関のベルが鳴った。なんだろうと思ったら、近所のおばさん。ビバホームまで買い物に行くから、よかったら連れて行くよという。わ――――、行く行く!腰痛のことはあえて言わず、原発事故も、どんどん忘れ、すぐに支度して彼女の車に乗せていってもらうことにした。となりの猫ゴミおばさんも一緒。彼女は、ディズニーランドに勤めているが、計画停電で休みだって。まあ、あそこは無駄な電力、使うからね。

途中、腹の底で考えた。自転車で買って来られるものなら、今日買う必要がない。どうせ車があって、しかも3人も人手があるなら、石を買うの手伝ってもらおう。あくまで、私は実用品など、念頭になかった。

というのは、早くつきすぎたんだけど、まだあいてない入口の前に、例の、買い物客の列ができていた。私は、ビバホームというところは大工道具とガーデニングの道具と鶏の餌しか買ったことないから、そんなものに、行列ができるとは思わなかった。何のための行列だろうと、モノ好きに聞いてみたら、どうもその相手も知らないらしい。たまたま来て見たら、なんかの売り出しでもあるんだろう、並んでいますねえ、だって。さてさて、日本人はよく並ぶ^^。

仕方ない、私たちも並んで、おとなしく待った。で、あいたら、前の列の人たちがなだれ込んで、突進した先は、トイレットペーパー・・・私、社会性がないから、なんだか、わかんない、この現象。

私は重いものをこの際と思って、鶏の餌を求めて歩いていった。誰も鶏の餌に殺到しないしね^^。ところで、いつもの餌の袋より、400円も安かった。それを一つワゴンに乗せ、石を探しに行った。安い青い石は、重くて一人じゃ無理。もし、手伝ってもらえれば、と思って、二人を待ったら、彼女たちも飼い猫の餌を買い終えて、こっちの方に来る。持てるか試してもらったら、できた。それを1個買って、あとは手で持てるかる石みたいなのを2個。これで、また少し遊べるぞ。

車の主が、隣のイトーヨーカ堂に行きたいと言って、車を向けたのだけど、駐車場が閉まっていた。なんだか、いろいろなことがおかしいわ。流山や松戸に津波が来たんじゃないのにねえ。ま、いいや、というわけで、彼女、マルエツに行くことにした。

ビバホームから比べたら、マルエツは家に近い。小さいし、ここは平穏だろうと思った。野菜はサティより高いが、時々、魚類が安い。特にウナギが安い。じゃあ、あわてて買い物することもないから、昨日、生協を期待して品切れで持って来なかったものを買おうか、と思った。

ところがやっぱり、マルエツも、人があふれていた。なんだか、笑っちゃう。お目当てのウナギはあったし、鮮魚もある。誰も殺到しないらしい。なんだか保存食とパンばかりなくなっていた。なんか、みんな核シェルターにでもはいるの?

私は新聞紙や「チリ紙」の時代を生きてきたから、トイレットペーパーがないと言って、気が狂ったりしない。薪で炊く、おいしい窯のごはんの味も、お焦げの味も覚えている。炭火の焼き魚は特に美味しい。徒歩も自転車も楽しい。家族も家も街全体もなくして悲しんでいいる人たちを思えば、食べ物の種類なんて選んでいられない。もも太郎の時代に戻って川で洗濯板で洗濯したっていいよ。

今、これを言ったら、顰蹙を買うけれど、世界的気候の変動で地球がおかしくなり、各国がいがみ合い、国内でさえ内乱になりそうなこの時代、日本の未曽有の大災害が起きて、全世界が力を合わせて救援活動に立ちあがったという、このことに、どんなに深い意味があるだろうと、ちょっと立ち止まって考えてみてはいかがだろう。日本内部の政争だって、すべて休戦になったではないか。そのことの、宇宙的な、深い意味を、本気で考えてみたときに、人類はやっと「かなたに」救いを見るような気がするが、そういうことを言うのは不謹慎であろうか。