バベルの塔

あまり視覚的にとらえすぎて、旧約聖書の宗教的意味が、かえって不明になるらしい記述の一つに、バベルの塔の物語がある。そんなことをふと、東京スカイツリーを見ていて思った。世界一高いとか、世界一深いとか、世界一長いとか、人間は、そういうものを競うのが好きらしいけれど、私は何かで一位になったことはない。なりたいとも思わないのだけど、一位になったら、さぞその後むなしいだろうなあ、なんて思っている。

自分の力にのぼせあがった人間たちが、天に届くような塔をこしらえようとして、塔を積み上げている時に、神の怒りを買って、塔が崩れ、しかも、以後、人々がバラバラのことばを話すようになってお互いに理解し合うことができなくなった、という物語を、子供の時に聞かされた。

実は、旧約聖書で、確認したことがないので、ものを言う資格はないのだが。

でも、この物語、最高に興味ある物語だ。楽園の知恵の木の実が、人間が自力を過信した「知」の追及の挙句の果てにたどる破滅の象徴なら、バベルの塔も、一種の「知恵の木」だろう。

旧約聖書は、聖書として信仰の対象にしてしまうとき、どうにもやりきれないほどへんてこな記述が多く、かなりうんざりするのだが、イスラエル人のメンタリティーは、あらゆる自然現象、あらゆる天災、災害を「ヤーヴェの怒り」ととることが「自然」なのだという基本を理解しないと、意味が通じない。モーゼがファラオを相手に行った様々な奇跡しかり、ソドムとゴモラの滅亡、しかり、ノアの箱舟の大洪水、しかり。そして、バベルの塔、然り。

天に届くような塔を建てるというのは、人間の意識として、自力で持って、天をも支配しようとしたことの象徴にも聞こえる。世界中に現れては死んでいった「王」が、誰でも持つ欲望だが、かつて、その欲望を実現させた「王」はいない。

不老不死の欲望をあらゆる権力者が追求し、追及のあまり、ミイラを作り、永遠の権力を黄泉の世界まで持って行ったという、歴史がある。

現代でも、これでもかこれでもかというほど、不老を宣伝する化粧品、あらゆる美容サプリメントがあふれているが、この商品は人間の不老不死の欲望がなければ成り立たない商品だ。

人はあり得ないことを追求し、ありえないことに執着する。挙句の果てにたどりつくのが、破滅であって、「言葉がお互いに理解し合えなくなり、でんでんばらばらに分かれて行く」状態になるとは、奇想天外な結果だ。というより、かなり優れた人間洞察の物語ではないか。