わが身の介護

普段、何も考えないでやっている足の爪の処理って、出来るということは体が「丈夫」なことなんだと、今朝思った。足の爪が切れるほど、体に柔軟性が戻ってきたんだ。

実は、腰痛で苦しみ始めてから、その当たり前のことができなかった。「遠くから」足の爪を眺めていた。そのたびに、「ああ、爪がのびている」と思った。実は、風呂で、体をまともに洗うこともできなかった。腰痛には温まるのがいいということは本能的に理解しているから、毎日、風呂を沸かし、毎日入った。しかし体を洗うこともなく、足の爪を切ることもできなかった。うちの風呂は、いわゆる伝統的な「和式」ではない。だからと言って、本格的な「洋式」でもなくて、和洋折衷型。「半分」寝た姿勢で楽にしていられる。しかし、弱った。風呂を洗うにも、半分屈んだ姿勢でなければならず、その姿勢は腰痛には、致命的。棒たわしで洗える範囲しか洗わなかった。

体を洗うことができないから、毎晩、風呂でじっと寝た姿勢で、10分くらいかな暖まるだけで、入浴を終え、あがってから、なるべくごしごし、タオルで拭いた。

ところで、目が見えなかった頃見えなかった汚れが、このところ、視力を回復したら、やたらに見える。風呂が汚れていた。洗わなきゃならないと思いながら、自分だけだからいいかと思っていた。見えるようになったら、我慢できなくなった。それで、今日、意を決して風呂を洗った。

風呂を洗うのに「意を決する」必要があるのかいな、とまだ元気な人は思うかもしれない。

私にはかなりその必要があった。実は腰痛以外に、利き手の肩のジョイントが痛んで、腕が思うように動かせないのだ。風呂で、両手を動かせないと、水場だからうっかり転倒した時に危ない。風呂を洗うには、腰をねじることを恐れて、中に入って体が均等に動くような姿勢にならねばあらない。足元はつるつる滑る。だから、「意を決する」必要がある。

自分の体に故障があるとき、いつもいつも思うのは、私を育てたあの「ヒグマ母さん」。88まで一人暮らしを通し、すべての身の回りのことをこなして、生きていた。70ぐらいで私が他人を頼ったら、天から降りて来て噛み殺しそうな、厳しい人だった。

で、無事に、噛み殺されずに、今日、風呂も洗った。

足の爪切り、風呂洗い、残りは、実は一番厄介な洗髪。これも姿勢次第でとんでもないことになる。風呂で洗って、ぎっくり腰を起こしたら、救急車など、呼ぶに呼べない。いくらばあさんだって、素っ裸で人の助けを呼べない。ヒグマ母さんが自分の「死出の旅路用の衣装」をこしらえて、「武士の子の誇りを保って」死んでいった姿が、やっぱり脳裏から離れない。こうなったら、母ちゃんコンプレックスだね。

髪はこの前かなり短く刈り込んでもらったから、洗いやすいのだけど、今、どのように工夫すれば、危険のない洗髪ができるか、一所懸命考えている。