naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

お雛様をしまったら・・・

お雛様をやっとしまった。実は、ナフタリンを買いそびれて、しまうにしまえなかったから。同時に部屋もいろいろ模様替え。壊れた土器は修復したけれど、割れ目は目立つし、主要な場所に置くのは、無理かなと思って、左遷。それでも執着はある。日本で作った模造品じゃないからなあ。

お雛様の前に菱雛おこしを置いたんだけど、それも今日食べてみた。実は、おこしって日本だけのものじゃない。エルサルバドルに行ったばかりの若いころ、あちこち歩いていて、道路わきの掘っ立て小屋みたいな店で売っているお菓子を見た。それは穀類、5穀と言ってもいい、を砂糖で固めたもの。食べてみたら、まさしくおこしだった。

え、これは日本の味だ!と、若かった私は、まるで、エルサルバドルのそのお菓子を、日本の模造品みたいに思って叫んだら、これはマヤ族の伝統的菓子だ、と言われて、かなり真面目に、反発を食らった。

ほー、そっくりなものが、日本にもあるもんで、と言って、私は製法も材料も似たものが、そんなに交易もない国に「伝統として」あることにほとんど感動して食べた。「マヤおこし」は野趣にあふれ、穀類をちょいと指でつまんで固めたような形をしていて、日本みたいに洗練された芸術的形状ではなかったが、凄く楽しめた。

食文化って面白い。エルサルバドルでは、(他のラテンアメリカでは、知らないが)カサミエント(結婚という意味)と呼ばれる、祝い事の時に食べる習慣のある、赤飯そっくりな赤豆(あかまめ)入りのお米がある。「赤豆入りのお米」と変ないい方をするのは、小豆ではないからだ。材料は小豆でもないし、お米はもち米でもないが、形状は赤飯そのものである。しかもそれが「カサミエント」という名前で、祝い事のときに食べる習慣も、日本と似ていて、面白かった。

そう言えば、死者をあがめる習慣も、極めて日本とそっくり。カトリックに改宗させられたとはいえ、宗教は民族の心。原住民の習慣が残らない方がおかしい。本来のカトリックは死者を崇めたり祀ったりしない。墓前で祈るのは、死者や先祖が相手でなく、あくまでも相手はイエスキリスト。ところが、昔家にいたインディオのおばさんは、私が作った家庭祭壇を見て、「ここに祀っているのは、あなたの死んだ家族か?」と聞いたんで返答に窮した思い出がある。

雛まつりのおこしを食べたら、そういういろいろな思い出が頭の中を去来した。