naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

渡辺陽一写真展を見てきた

柏の高島屋で、開催中の、戦場カメラマン、渡辺陽一の写真展を見てきた。

戦場カメラマンは、中米内戦の関係で、長倉洋海を知っている。この人は、一世代後のカメラマンで、中東が多いようだ。彼のことは、テレビに出てくるときは、なんだかお笑い番組で、笑い物にされている印象が強くて、どういう人物かをよく知らなかった。

たぶん、マスコミは、彼の帽子と、話し方に焦点を当てて、彼の心に焦点を当てていないのだろう、と、今日の展覧会を見て感じた。ビデオが放映されていて、彼の語り口をきいたが、彼は見てきたことを、悲惨さや、悲しみや、衝撃や、無念や、怒りや復讐の怨念などの凄まじさを、自ら反芻し、自らに言い聞かせ、自らに納得させるため、ああいう語り口で話しているのだ、と感じた。

そして世界各地の戦場で見てきたことを、その皮相的なところでなく、愛や憎しみや切なさを、人間の心のすべてを語ろうとしているのだ。

あれをベレー帽がどうのとか、わざとゆっくりしゃべって面白いとか、どうでもいい観点から眺めて、無思慮に揶揄するような相手じゃない。

展示されていた写真の焦点を見ても、ただただショッキングな光景を、これでもかこれでもかと撮ったのでなく、劣化ウラン弾の犠牲となった子供を抱く母親の視線とか、空腹を抱えて、銃の横にうずくまる子供の背中とか、その光景に深い深い心の嘆きや祈りや愛を感じなければ撮れないような写体ばかりだ。

ところで、日本は、世界唯一の被爆国として、なんだか被爆国ブランドを誇るような姿勢でいるが、アメリカ軍の行くところ、みんな被爆国だということを忘れてはいけない。「劣化」という文字にごまかされて、あれは核兵器ではないと、騙されているようだが、放射能汚染で、退却を余儀なくされても、人体に影響はありませんと言い続ける政府や東電と同じ理屈なのだ。イラク中に、奇形の子供が誕生したり、白血病になったり、体中に腫瘍ができたりする事実があるのに、なぜ劣化ウラン弾核兵器ではないのか、疑うことさえしないのが現実だ。

星条旗を掲げていれば、女子供を相手に子々孫々のDNAを破壊するような「劣化」とあだ名のついた核兵器を使っても「正義」であって、自衛のためにはむかうものは、核兵器を持たざる者の最後の手段としての、ほんの数十人しか殺傷しない「自爆」は、テロであって、犯罪だ、なんていう、そんな論理を、なぜ世界は支持するのか、私には、さっぱりわからない。

私には、トルーマンがなぜ戦犯と呼ばれず、東条英機は死後、日本の民族宗教の対象として祀っても、世界から疑問を持たれるほどの悪人だという意味がわからないと同様、ブッシュやオバマ大量破壊兵器で人を殺しても犯罪者でなく、なぜオサマ ビン ラディンだけが犯罪者なのかわからない。

たぶん私は70の耄碌ばあさんだから、わからないんだろうね。