ロメロ大司教追悼ミサ

招集がかかったので、イグナチオ教会に行ってきた。31年前に暗殺されたエルサルバドル大司教ロメロの追悼ミサをやると言う。私が描いた絵の写真をはじめ、手持ちの資料などがほしいというので、貸与した。ミサの後になんだか、懇談会と映画をやるというのだけど、映画は、たぶん、私がヴィデオで持っているもので、昨日の今日で疲れきっているから、ミサと懇談会にだけ付き合った。

エルサルバドルの大使代理が挨拶した。政権が代わってから、元の政権が政府の財産を持ち逃げしたので、いまだに大使を派遣する余裕もなく、とりあえず代理として任命したのが日本人と結婚したエルサルバドル人の夫人で、実は私も知っている。お互いに年をとり、お互いに誰だか分らなかったが、なかなか知的な立派な婦人に成長していた。

たぶん、日本では、内戦下のエルサルバドルで、民衆の代弁者であったロメロ大司教の暗殺を、たぶん無視し続けていただろう。だから、ほとんど彼の業績も、暗殺の意味も知られていないし、暗殺を指揮した前政権が選挙で負けて政権が代わってから、やっとどうどうと、彼の死の意味を公表し、追悼することができるようになったらしい。あの時代、内戦下のエルサルバドルで、ロメロ大司教の声を聞き、その死の瞬間の巷の様子を目の当たりにした私には、彼の死はいつまでもいつまでも生々しい。そして彼を聖人化したり、意味のないきれいごとを言ったりすることに、かなり抵抗を感じている。

それにしても、30周年でもなく、35周年でもない、31年目という変な年に、なんで唐突に日本でロメロの式典をするんだか、なんだかよくわからなかった。まあ、7の倍数で回忌をするんだから、なにも10進法にこだわることもないが、今、ロメロの追悼ミサをやったって、大体集まる人がいるのかいな、と疑問に思ったが、かつてエルサルバドルで出会った数人の人たちに、会うことができて、ちょっと収穫でもあった。なにしろ、あの頃であった日本人は、ロメロ殺害以前に日本に引き揚げてしまっていたから。