naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

落語とこころの時代

最近の「こころの時代」の裏はいつも落語のような話芸の番組がNHKで組まれている。

私は上方落語は好まないが、江戸の古典落語が大好きで、テレビのない時代に育っているから、子供のころから落語とか講談などの話芸ばかりをラジオで聞いていて親しんでいた。こころの時代は、熱心に身を乗り出して聞きたくなるような内容の物もあるし、あまり意味のわからない、「へそのない話」もある。そのどっちの話にあたるかは、かなり聞いてからでないとわからない。だからこういうら番組が組まれると困るのだ。

だいたい、「こころの時代」と「落語」では両方とも真理ではあるとしても、聞く態度が180度違う。どちらを選ぶにしても、何か自分に嘘をついているみたいな、後ろめたい気持ちがする。

そんな複雑な気持ちを抱えながら、昨日の5時は、初め裏の漫才を聞いてみたら、面白くもなかったので、案外ホッとして、こころの時代にしてみた。

ロシア正教の爺さまのお話だったけれど、まあ、日本人を父に、ロシア人を母に持った満州育ちの爺さまで、それだけで、人生の前半は苦労しただろうと思われたので、敬意を持って聞いていたが、どうも「へそのない話」だった。

つまり「中心」がない話。苦労しただろうというのは、私の側の憶測にすぎない。なにしろはっきり言わないから。すべて感謝感謝と言い続けていて、まあ、年齢から考えても、そういう心境に「なった」のだろうと考えるだけ。その経緯や彼の歴史がどうも見えない。

裏の話芸の方をもう一度見てみたが、もう、何が何だか分からなくて、奇妙な時間を過ごしてしまった。