naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

松戸、柏、流山の放射能の数値

昨夜、「人間とは何か」という番組を夜8時に見始めた。ところが日中の疲労で、気がついたら眠っている。途中が開いてつながりがないのを知りながら、何度も見続けた。画面は全くつながりもなく、実は、今日になっても、ほとんど記憶がない。ただ、途中から、ばかばかしくなって寝たところまでは覚えている。

夜8時の番組が眠気で見られないというのは、かなり重症だ。そのくせ風呂に入って床に着いたら、しばらくは眠れなかった。次の日はいくらなんでも、力仕事を休もうと思った。

で、朝目が覚めた時、ああ、今日は5時に「こころの時代」だな、と思って、テレビをセットし、ベッドメーキングをしながら、考えた。家にいると、また崖に登りそうだから、今日は教会にでも行こう。

「こころの時代」はなんだか面白くないので、結局うら番組の寄席の方を見た。寄席の司会者は、落語家兼日蓮宗のお坊さん?なんか、そういうような記憶がある。対談が面白かった。

デ、それが終わったら、また面白くないので、テレビ体操をセットして、始まるまでテレビを消して、その間食事を食べた。どうせ、朝食はいつもの大量の野菜だから、何を食べたか、いちいち覚えていない。食事もし、体操もし、鶏の餌もやり、朝の日課が終わったので、時間も確かめずに、松戸教会に向けて走り出した。あの、新しいもっと近い教会には、まだ行く気が起きない。

松戸教会への道のりは、流山側から坂川に沿って、行けばいい。滞りなく松戸駅近くまで行ったつもりなのに、わずかに間違えて、人に聞いた。で、ついたのが、7時35分。体操が終わるのが6時35分だから、その後、いろいろ支度したとしても、まあ、45分には家を出ただろう。案外早く来れるもんだ。ミサは8時からなので、余裕だった。

ふと出来心で来たにしては、今日は祝日だった。魔がさしたわけでも、啓示が聞こえたわけでもなく、今日は、ご昇天と呼ばれる祝日で、偶然私は、昔は義務だったミサにあずかることができたわけ。人は、祝日だから来たんだろうと、誤解しているだろうけれど、今の私にとっての意味のある教会の祝日は、四旬節と復活祭だけ。ご昇天というのは、復活されたイエス様が、しばらく弟子たちとともにして、そのあと、天に上って行ったとされる日。あの陰惨な苦難のあとの勝利の日と言ってもいい。だから、昔は守るべき祝日だった。復活があって、昇天があるというのは、構成上、正しいかもしれないが、「永遠に私たちとともにいる」イエス様が昇天しなくてもいい。

ところで、ミサ終了後、教会にふさわしくないプリントが配布された。それがまあ、「放射性物質の遺伝子に与える影響について」と題したプリント。え、なんだこりゃ。

カトリック教会は、巨大な国際組織だから、中にいろいろなメンバーがいる。最近ネット内で「にぎわっている」千葉県内の放射能の測定値に関して、放射線や遺伝学を専門とする、群馬大学の元教授だった聖職者の一人が、日本における原子爆弾投下以来の過去のデータをもとに、過度な心配は無用という意味の、案外学術的見解をまとめたプリントだった。なにしろ、ある人物が、松戸、柏、流山で国の発表の20倍も上回った数値を測定して、ここがホットスポットで、危険だ危険だと騒いでいるらしい。そのことに対する見解を、まあ、少なくとも、教会の信者に対して発表する気になったらしい。

松戸、柏、流山なら、私の縄張りだ。まあ、他の犬が自分の縄張りを主張するかもしれないから、すくなくとも、穏便に「私の行動範囲」だといっておこう。この地域が放射能ホットスポットだというなら、まあ、70歳の今から、「遺伝子」の異常を心配しなくてもいいけれど、若い人は心配だろうね。教会もおつなことをやるじゃないの、と思って、神父さんに、これコピーして、ネットで出してもいいかと聞いたら、世界中に配布してもいいと答えた。だから、スキャンしなきゃ。

で、帰宅したのが、10時。丁度テレビ朝日の討論番組が始まっているのでつけてみたら、松戸、柏、流山の放射能の数値の話をやっていた。今が旬の話題らしい。